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2014年9月 8日

首都圏広域AMラジオ3局にFM補完中継局の予備免許

総務省は4日、首都圏でAMラジオの放送を行っているTBSラジオと文化放送、ニッポン放送の3局に、申請中だったFM補完中継局の予備免許を与えました。
FM補完中継局は、AMの送信所が災害で放送不能になった時に備え、また、大都市圏でビル影やIT機器の雑音などで放送が聞きにくくなっているのに鑑みて設置されるもので、AMとFMで同一番組を放送します。
周波数は、TBSラジオが90.5MHZ、文化放送が91.6MHZ、ニッポン放送が93MHZ、出力は7KW、送信所は東京都墨田区の東京スカイツリーに設置されます。本放送は来年春以降を予定しています。
ここ数年、急速なインターネットの普及により広告収入の低迷に悩まされているラジオ放送ですが、インターネットによる音楽配信やスマートフォンの普及などで、10代を中心に若い世代のテレビ・ラジオ離れが進んでおり、また、長い間夏場のドル箱番組といわれていたプロ野球ナイター中継も、近年の読売巨人軍の人気低迷や、衛星テレビ放送などで完全生中継ができるようになり、提供スポンサーが相次いで撤退するなど見直しを迫られました。また、FMでも、県域FM局で経営の状況が悪化している局が出ており、加えて出力10~20WのコミュニティFM放送も登場するなど、競争がますます激しくなりました。
また、首都圏広域AMラジオ3局をはじめ、大都市圏の大手民放ラジオ局は、平成4年からAM波でステレオ放送のサービスを提供してきました。しかし、受信機が思うように普及しなかったことや、NHKがAMステレオ放送をしなかったこと、オーディオ機器のデジタル化で雑音が生じること、さらにはAMステレオ放送対応の送信機器が生産中止になったこともあり、関東広域圏ではTBSラジオが平成23年1月に、文化放送も平成24年2月にそれぞれステレオ放送のサービスをとりやめたほか、各地の中波放送局でもステレオ放送のサービスをとりやめました。ここ沖縄でも、平成7年にRBCラジオが豊見城市嘉数の送信所設備一新の際にAMステレオ放送対応の話もありましたが、他府県でAMステレオ放送が普及しなかったことや業績悪化もあり断念しています。
AM波でのステレオ放送のサービスをとりやめた各局は、インターネット同時配信“radiko”で、よりクリアな音声でのサービスを提供するとともに、新たなリスナーの開拓など、活路を見いだしてますが、依然経営は苦しく、アナログテレビ放送のチャンネル跡を使ったデジタルラジオ放送も断念、加えて送信所施設も老朽化。このため、FM波によるサイマル送信にたどり着いたようです。すなわち、AM波で技術的な問題などで困難だったステレオ放送のサービスを、FM波で提供しようということになります。
FM補完中継局の予備免許は、在京3局に先立ち、鹿児島県のMBCラジオと富山県の北日本放送に与えられ、このうち北日本放送は、全国初の開局を目指しています。
県域、コミュニティに加え、中波放送局のFM同時再送信が加わり、音質の良いFM放送はますます競争が激しくなっていくようです。

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2014年9月 6日

グランドフィナーレまであと2週間!沖縄三越の思い出

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那覇市の国際通りのシンボルとして君臨してきた沖縄三越。
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8月31日まで、6階のイベントプラザでは北海道の物産展が開かれていた。(以上2枚筆者撮影)

以前このブログでお話ししたとおり、那覇市の国際通りにある百貨店、沖縄三越が、9月21日で営業を終了することになりました。57年間の歴史に幕を下ろすその日まであと1か月を切りました。
予告しておりましたとおり、私の沖縄三越に対する思い出を話そうと思います。
昭和45年10月に現在の建物となった沖縄三越。1970年代から80年代にかけては8階と9階は、子どもたちの遊び場ゾーンでした。
8階は文具やおもちゃなど子供グッズを扱うフロアであり、屋上庭園にはミニモノレールなどの遊具が置かれた遊園地になっていました。また、9階にはゲームコーナーや美容室がありました。
私も小中学生のころ、沖縄三越の9階のゲームコーナーで、ピンボールや野球ゲームなどのゲームで遊んでいたことがありました。私にとって、また親の世代となった世代にとって、沖縄三越の8階、9階は、思い出の多い場所だったことでしょう。
その8階、9階も、平成3年の増改築に伴い、事務所フロアとなり、一般の客の立入は禁じられました。エレベーターも営業中は7階止まりとなりました。そして、子供時代の思い出がいっぱい詰まった9階にある会議室で行われた取締役会で、閉店の決定が下ってしまいました。
また、沖縄三越のとなりにある旧那覇タワービルが連絡通路でつながっていたという時代もありました。那覇タワーの19階の展望レストランで食べた食事がおいしかったという思い出もありました。
最近では6階のイベントプラザで行われる、他府県の物産展で、その土地の味覚を味わうことが多くなりました。8月31日まで開催されていた、最後の物産展となる北海道の物産展では、札幌ラーメンを買ったりして、家で味わっています。
昭和32年に大越百貨店として開店以来、那覇市民に多くの思い出をもたらした沖縄三越も、百貨店業界の構造的な変化には勝てず、57年の歴史に幕を閉じることになりました。現在は、57年間の愛顧に感謝の意をこめて、閉店セールが3つの期間にわたって行われています。閉店後は、リウボウ商事が新たな経営体となり、吉本の劇場などを備えた新たな商業施設に生まれ変わる予定ですが、使うフロアが1~3階に限られる上、沖縄三越自体も建物が老朽化していること、また、となりにある旧那覇タワービルの取り壊しが始まり、特徴的なタワーもついに姿を消すことを考えれば、新たな商業施設の営業期間は2~3年を予定しているものの、その期間を短縮し、沖縄三越の建物を取り壊した上で、旧那覇タワービルの跡地と合わせ、パレットくもじやさいおんスクエアのような立派な再開発ビルに建て替えた方がいいと思います。ただ、平成3年に増築した時の地権者の同意が必要ではありますが。
那覇市の繁華街・国際通りのシンボルとして君臨してきた沖縄三越。那覇のシンボルが幕を下ろす日が、いよいよ近づいてきました。
那覇市の沖縄三越だけではありません。8月31日、和歌山市の南海電鉄和歌山市駅ビル内で営業していた“和歌山タカシマヤ”が41年間の歴史に幕を閉じました。そして来年2月には、くまモンで一躍有名になった熊本市桜町、交通センターのとなりにある“県民百貨店”も閉店することになりました。交通センタービルの再開発に伴うもので、移転先が見つからなかったためだそうです。かつては岩田屋と伊勢丹の合弁のショッピングセンターでしたが、後に阪神百貨店(現在の阪急阪神百貨店)の支援を受け、平成23年から現在の“県民百貨店”として営業していました。交通センタービルの再開発、移転先が見つからず、売り上げの期待もなく、閉店という苦渋の決断を迫られてしまいました。
このように、那覇だけではなく、和歌山や熊本、長崎といった地方都市、さらには大都市圏でも閉店や規模縮小に追い込まれていった百貨店も多いといわれています。少子高齢化、そして消費増税という中で、買い手が少なくなり構造的な改革に踏み切れずに、廃業に追い込まれる百貨店が続出しています。沖縄・那覇の老舗百貨店“沖縄三越”もまたその1つといえるでしょう。

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