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2014年5月24日

沖縄三越、9月閉店決定!国際通りのシンボルが消える!!

新聞などで報道されているとおり、那覇市の国際通りにある百貨店、沖縄三越が、9月30日で事業を終了し57年間の歴史に幕を下ろすこととなりました。
沖縄三越は昭和32年、建設業の大城組の創業者、大城鎌吉氏が“大越百貨店”の名前で開業。昭和45年に当時の三越と提携し“沖縄三越”に改名しました。
平成3年には、併設していた映画館“沖縄東宝劇場”の閉鎖などに伴い増築工事を行いました。
その後、バブル崩壊で百貨店の売り上げは伸び悩み、沖縄三越も例外ではありませんでした。加えて那覇市金城の小禄駅前にイオン那覇ショッピングセンターが、またおもろまちにサンエー那覇メインプレイスが開業するなど、競争がますます激しくなり、売り上げは年々落ち込み、借入金も膨らむ一方でした。
このため平成15年に私的整理、翌16年には債権者の銀行主導のもと、本業の百貨店事業と負債整理を切り分ける「会社分割」の手法を使って事業再生に取り組んできました。
それから10年たった現在でも、業績は回復せず、約35億円の債務の重みには耐えられず、加えて提携先の三越伊勢丹ホールディングスとの商標使用契約が今年9月に切れ、これ以上百貨店事業を継続するのは困難と判断されました。このため、19日に取締役会を開き、9月末での廃業が正式決定されました。
沖縄三越は那覇市牧志の本店のほかに、那覇空港国内線ターミナル内に空港売店、デパート山形屋の跡地にあるホテルJALシティ那覇内のJALコーチショップ、それに発展の著しい豊見城市豊崎にある食品館“豊崎マイキッチン”を運営しています(かつては那覇市首里山川町のホテル日航那覇グランドキャッスル内や、沖縄市久保田のプラザハウス内にも支店を持っていました。)が、これらの附属店舗は、リウボウグループが営業を引き継ぎます。このうち“豊崎マイキッチン”は、“豊崎りうぼう”という食品スーパーとして生まれ変わる予定です。そして、本店の百貨店の営業は、9月21日で終了する予定で、これもリウボウグループが来春以降、観光商業施設として運営する予定です。また、沖縄三越の従業員の一部は、リウボウグループが受け入れることも表明しています。
閉店に至った理由として、沖縄三越の杉山潤治社長は記者会見で「業態間競争、地域間競争、消費動向や景気など内外の変化にスピーディーかつ的確に対応できなかったことがこんな結果につながった。」と話していました。
沖縄三越は“奇跡の1マイル”として沖縄の戦後復興の象徴といわれる国際通りのシンボルでありながら、“三越”のブランドにこだわり、高級品を中心に、かつ、高齢者をターゲットとした店舗作りの方針を貫いていました。しかし、郊外大型店舗の台頭や、長引くデフレ経済の影響は大きく、店舗運営には外部テナントを誘致し、また、今年4月には老朽化したエレベーターの2基のうち1基をリニューアルする一方、もう1基は“電力節減のため停止”とし、今後廃止することにしていました。
一方、本土に目を向ければ、百貨店業界で再編が相次ぎ、提携先の三越も平成20年、伊勢丹と持ち株会社方式で経営統合し、三越伊勢丹ホールディングスとなり、ここでも、百貨店という形式の店が時代に合わなくなったとして、平成21年には東京・池袋店と鹿児島店が閉鎖され、さらに平成23年5月にJR大阪駅の新しい駅ビル内に開業した“JR大阪三越伊勢丹”も、当初の売り上げが伸びず、開業からわずか3年で規模の大幅縮小に追い込まれるなど、店舗網の再編がなされるほど、厳しい経営環境が続いており、沖縄三越の面倒を見る余裕はなくなってきたようです。
沖縄三越閉店が報じられて2日後、沖縄三越のとなりにある旧那覇タワービルが、現在所有している不動産開発会社から、九州のホテル運営会社に売却されることが決まったと報じられました。この旧那覇タワービル、平成20年に前の所有者だった不動産会社“ゼファー”が破産したあと、空きビルの状態が6年間続いています。売却とともにビルの取り壊しが予定されています。その昔、沖縄三越の本館と旧那覇タワービルが連絡通路でつながっていたという時代もありました。沖縄三越閉店後、運営を引き継ぐリウボウグループは、現在の建物のまま、1~3階を活用して新しい商業施設を運営しようとしていますが、使うフロアが1~3階に限られる上、沖縄三越自体も建物が老朽化していることを考えればいっそ、沖縄三越と那覇タワービルの2棟をまとめて取り壊した上で、パレットくもじやさいおんスクエアのような立派な再開発ビルに建て替えた方がいいと思います。ただ、平成3年に増築した時の地権者の同意が必要ではありますが。
57年間の長きにわたり伝統と高級感のブランドを背負いながら那覇市の繁華街・国際通りのシンボルとして君臨してきた沖縄三越。伝統と高級感のブランドも、ついに手遅れということになってしまいました。
私にとっても、沖縄三越にとっては、思い出がありました。その思い出は、時期を見てこのブログで話そうと思います。

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2014年5月18日

最後のJリーグ観戦で国立競技場に行ってきました

 大型連休の後半、私は5月5日と6日の2日間、2020年東京五輪開催に伴い建て替えられることになった東京の国立競技場に行ってきました。
 私は12年ぐらい前まではJリーグ観戦で毎年首都圏へ旅行していました。しかし、現在は阪神タイガースの応援で毎年甲子園球場へ行くようになりました。
 しかし今年、正月恒例の『天皇杯全日本男子選手権』や『全国高校男子選手権』の準決勝・決勝の会場として毎年多くの名勝負の歴史を刻んできた国立競技場が、建設から半世紀以上がたち、老朽化に加え、2020年東京五輪に合わせ、より観客収容能力のある新しいスタジアムを新築する必要があるとして、今年5月をもって今の競技場が閉鎖、解体されることになったことから、“サッカーの聖地”国立競技場での“最後のサッカー観戦”旅行を思いついていました。
 今年の年末年始は9連休でした。この9連休中の元日に設定された、割安な運賃を使って、元日の天皇杯サッカー決勝戦を観戦しようと考えていましたが、国立競技場は5月までイベントがあるということから、寒い正月よりも、ゴールデンウィークに行った方がいい、と考えゴールデンウィークに行くこととしました。
 国立競技場へ行く前に、5日は神奈川県箱根町にある箱根小涌園で温泉を楽しんだあと、夜に東京旅行時の常宿である品川プリンスホテルに到着、ホテルに到着すると、ロビーには卓球の選手たちがいました。そうです。5日まで東京で開催されていた『世界卓球選手権東京大会(団体戦)』(JA全農特別協賛)の選手宿舎になっていたのです。ちなみに大会は、男女とも中国が優勝、女子は日本が43年ぶりの優勝はならなかったものの準優勝、男子は準決勝で敗れ3位でした。
 6日の朝、まず、国立競技場の中にある“秩父宮記念スポーツ博物館”を見学しました。
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秩父宮記念スポーツ博物館 上が入口、下が入口を入ったところ(筆者撮影)
 この博物館には、“日本のスポーツの聖地”である国立競技場に関する品物を中心に、1964年東京五輪関連、昔のスポーツの関連、東京で開催された国際スポーツイベント関連、そして、昭和天皇の弟で、生涯を通じてラグビーやスキーなど、スポーツをこよなく愛された秩父宮雍仁親王を記念する展示物も展示されていました。
 また、国立競技場にゆかりのある人物へのインタビュービデオも上映されており、バックスタンドの一番高い所にある聖火台を作った川口の鋳物職人や、国立の“最高のピッチ”を支えてきた元グラウンドキーパーが思い出を語っていました。聖火台を作る際、型に溶けた鉄を流し込む時に、型が崩れて大火災となり、そのショックで職人のおじいさんが亡くなるというエピソードも語られました。その他、数々の名勝負を支えてくれたグラウンドキーパーの苦労話など、収録されたエピソードは後世に語りつがれるべきものです。
 そもそもこの国立競技場は1958年、『第3回アジア競技大会』開催に合わせて、それまでの明治神宮陸上競技場を解体してその跡地に作られ、その6年後の1964年に東京五輪の開閉会式や陸上競技の会場となったということです。競技場のシンボルともいうべき聖火台も、当初は第1コーナーと第2コーナーの間のスタンドの最上段に作られましたが、1964年東京五輪に合わせたバックスタンドの増設工事に合わせ現在のバックスタンドの一番高い所に移されたということです。
 この秩父宮記念スポーツ博物館、私が訪ねた5月6日が最後の開館日でした。国立競技場の建て替え工事に伴うもので、5年後の新国立競技場が完成した暁に、競技場内で再開するとのことです。
 このあと、御徒町や原宿でショッピングをしたあと、再び国立競技場へ戻り今度はいよいよ国立競技場最後のJリーグの試合、山梨県のヴァンフォーレ甲府と埼玉県の浦和レッズの試合観戦です。
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自分の席から見た国立のピッチ(筆者撮影)
 国立競技場最後のJリーグの試合を見ようと、当日は36,505人の観衆が詰めかけました。その多くは、団体貸し切り列車や貸切バスなどで山梨県内から駆けつけた甲府のサポーターでした。価格の安い両チームのゴール側の自由席が満席となりました。試合は、両チーム決め手を欠き、90分戦って両チームともゴールを決めることができず、0-0の引き分けとなり、最後の試合で、最後の「ゴール!」の雄叫びを耳にすることはできませんでした。
 半世紀以上の長きにわたり、サッカー選手そしてサッカーファンの聖地として、また1964年東京五輪のメインスタジアムとして数々のスポーツ名勝負の舞台、そして日本の“スポーツの聖地”として国民に親しまれてきた国立競技場。2020年東京五輪のメインスタジアムとして新たに生まれ変わるべく、現在の競技場としては今月いっぱいでお別れとなります。5年後に新しい競技場として生まれ変わることを楽しみにしつつ、帰りの飛行機の時間が迫っていく中、競技場に別れを告げて参りました。
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今の競技場とはこれでお別れ(千駄ヶ谷門前の歩道より筆者撮影)
国立競技場 今後のイベント予定
17日・18日 ポール・マッカートニーさんのライブコンサート
(ポール・マッカートニーさんの体調不良により中止、また、21日の日本武道館、24日の大阪・長居陸上競技場での公演も中止となりました)
25日 ラグビーワールドカップ2015アジア最終予選『日本VS香港』
28日・29日 さよなら国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT
(いきものがかりやラルク・アン・シェルなど日本を代表する歌手が出演するライブコンサート)
そして最終日となる31日(土)には『SAYONARA国立競技場FINAL “FOR THE FUTURE”』と題し、国立競技場にゆかりのあるアスリートや国立競技場を愛するゲストをお迎えして、サッカー・ラグビーの“レジェンドマッチ”やファイナルセレモニーなどのプログラムが行われ、聖火台の聖火が消え、“スポーツの聖地”としての56年間の歴史にひとまず幕を閉じます。このファイナルイベントの模様は、TBSテレビが『緊急生中継!さよなら国立競技場』と題して午後9時より全国ネットで生中継する予定です。
くわしくは、国立競技場総合インフォメーション、TEL : 03-3403-1151までお問い合わせください。
(受付時間 平日午前9時~12時、午後1時~5時)

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