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2011年3月19日

震度7の大地震、大津波、そして原発事故…

3月11日午後2時46分ごろ、東北地方の太平洋沿岸を震源とする、日本国内観測史上最大のマグニチュード9の大地震が起こり、宮城県栗原市で震度7を観測しました。この地震により大津波が発生、10mを超える大津波が東北地方の太平洋沿岸を襲い、昭和2年の関東大震災に匹敵するような(?)被害をもたらしました。
東北地方の太平洋沿岸ではいつもよりはるかに速いスピードで津波が襲い、重さ1台1tの乗用車や、1000tもある漁船、何千万円もかけて建設してきた住宅などが、根こそぎに流されていきました。中でも、ヘリコプターカメラがとらえた、かれきや火のついた建材などを伴った津波が一瞬にして畑やビニールハウスなどに打ち寄せる映像は、一瞬にして人々の生活を奪う津波の恐ろしさを物語っていた、衝撃的な映像でした。検潮所での観測も不可能という大きさで、宮城県と岩手県の県境に接する漁業の町、女川町では、専門家が津波のあった跡を調べた結果、津波の高さは13mにも及んだといわれています。
警察庁が18日午後7時にまとめたところでは、これまでに6,911人が死亡、行方不明者を合わせると17,227人。16年前の阪神・淡路大震災の2倍を超えました。地震や津波で、尊い家族や財産を失い、避難所での避難生活を余儀なくされている人々は、8つの県でおよそ386,000人に上っています。
この地震では、東京電力の福島第一・第二原子力発電所も被害を受けました。
福島第一原発では、6つある原子力発電機のうち4基がトラブルにあいました。電力を起こすための原子炉を冷やすための冷却装置が、津波の影響で故障したために、核燃料がつけてあった水から露出して溶け出し、火災や爆発が発生しています。
東京電力のサービスエリアは、関東地方1都6県のほか、山梨県、静岡県の一部にまで及び、1日の供給能力は6,266 万kWh。このうちの約30%を原子力発電でまかなっています。地震で原発が運転を停止したために、供給能力が大幅に低下、供給能力を超えると大規模な停電が発生するおそれがあります。この頃の厳しい寒さで暖房など電力需要の急増が予想され、予測不能な大規模停電が発生する恐れがあります。このため、東京電力ではサービスエリアを5つのグループに分けて“輪番停電”を行うとともに、国民に対し節電の徹底を求めています。
“輪番停電”の影響で、電力を多く使う鉄道も、運行停止や減便の影響が出ています。
JR東日本の新幹線は、上越・長野新幹線はいち早く運行を再開、東北新幹線も東京-那須塩原間で運行を再開していますが、那須塩原以北と山形新幹線は依然として運行停止(秋田新幹線については、盛岡-秋田間で1日4往復の運行が再開されました。)、在来線に至っては、津波で押し流され壊滅的な状況にあるために、復旧には長期間かかるものと思われます。首都圏の鉄道各社は、東京電力からの電力供給制限の措置を受けて、運行本数の削減や特急、急行などの運行停止、停電の時間帯の全便運休などの措置をとっています。
テレビも影響を受けました。NHK、民放各局は地震発生の瞬間から予定の番組やCMをすべて取りやめて日曜日の深夜まで地震関連の報道特別番組を放送しました。月曜日以降も徐々に一般の番組に戻るものの、CMの大半は公共広告に差し替えられています。このため、終了まで残り2週となったNHKの連続テレビ小説『てっぱん』も、地震翌日の12日は休止、総合テレビは18日まで休止し19日から1週間遅れで再開することになりました。衛星ハイビジョン放送は予定通り26日にフィニッシュしますが、総合テレビは4月2日にフィニッシュすることとなります。これにより、次の連続テレビ小説『おひさま』は、総合テレビ、BSプレミアムともに4月4日スタートに変更されました。大河ドラマ『江』も、13日に予定されていた第10話が20日に延期されました。さらにCSで放送している『ショップチャンネル』『QVC』の24時間テレビショッピング専門チャンネルでも、地震発生直後から放送を休止していましたが、『ショップチャンネル』は時間を限って放送を再開、『QVC』は23日から再開するとのことです。
東北太平洋沖の地震の影響は、2000㎞以上はなれた沖縄にも及び、11日の地震発生時から13日まで、沖縄県全域に津波警報が発表されました。宮古島で70㎝が観測されただけでした。
マグニチュード9の大地震、南北に500㎞、東西に200㎞の大きな震源、高さ10m以上の大津波、そして福島第一・第二原発の事故の二次災害…今回の大地震は、私たちが今まで体感しなかった、最大規模の地震となり、遠く離れた私たちにも甚大な衝撃を与えました。
昨年の2月28日、遙か太平洋の対岸にある、南米チリの大地震で、チリでは2mを超える大津波が押し寄せ、地震の死者の大半である500人以上が犠牲になったと見られています。その影響は遙か遠い日本にも及び、現地調査の結果、岩手県陸前高田市で1m90㎝の津波が押し寄せたものと推定されました。
あれから1年、日本でこれを上回る規模の地震が発生、検潮計でも計れないほどの大津波が襲い、現地調査の結果では10mを超えることは確実と見られています。そして、阪神・淡路大震災を超える、戦後最悪の震災に見舞われました。おそらく、復興にはとてつもない年月がかかるといわれています。
この場を借りて、東北・関東大震災の被災者の皆様にお見舞いを、また尊い命を失われた遺族の方にお悔やみを申し上げます。

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2011年3月 2日

成田空港でJALジャンボの“卒業式”

きのう3月1日は県立高校の卒業式。昨年夏に行われた高校生のスポーツの祭典『平成22年度全国高等学校総合体育大会・美ら島沖縄総体2010』で活躍し、またそれを支えた、約14,000人の高校生が、3年間の高校生活に別れを告げました。
また、昨年の春の選抜大会、夏の選手権大会と、2つの高校野球の全国大会を制した、興南高校でも卒業式が行われ、島袋洋奨投手や我如古盛次主将などの優勝メンバーも、それぞれの進路へと巣立っていきました。
そしてきのう、成田空港では、もう一つの卒業式が行われました。
“ジャンボジェット”の愛称で親しまれた、日本航空(以下“JAL”といいます)のボーイング747-400型機(以下“ジャンボ機”といいます)が、きのう、ホノルルと那覇から成田に向かう2便をもって、41年間のJALでの活躍にピリオドを打ちました。
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退役したB747-400型機(筆者撮影)
JALのジャンボ機は、昭和45年、高速大量輸送時代を見据えて羽田とホノルルを結ぶ路線でデビューしました。沖縄が本土に復帰した昭和47年には、羽田-那覇線で国内線に就航、以来日本からハワイ・グアムなどのリゾート地へ、また沖縄路線の主役として活躍してきました。
大きな機体と、機首の部分がこぶのように盛り上がっていることから、“ジャンボ”と呼ばれ、一番多い時期には約80機ものジャンボ機が世界中を飛び交い、JALの代名詞にもなりました。この1便で、最大500名を超える旅客を輸送できます。
昭和60年8月には、羽田発伊丹行きのジャンボ機が、群馬県の御須鷹山に墜落、歌手の坂本九さんをはじめ520人の大量の犠牲者を出す大惨事もありました。
また、5年前の第4回世界のウチナーンチュ大会開催時には、ハワイの沖縄県人会がJALのジャンボ機2機を借り切って、約1,000人ものハワイ在住の沖縄出身者の輸送にも活躍しました。
ジャンボ機が滑走路に降り立ち、また離陸していくその姿は、JALのシンボルにあしらわれた鶴のように、美しく感じられます。
しかし、部品が多いことから整備にコストがかかったり、また燃費が悪いことから、JALの再建策の一環として、このたびすべてのジャンボ機が、JALを去ることになりました。コスト高、悪い燃費効率、そして経営再建のためとはいえ、JALの顔ともいうべきジャンボ機がなくなってしまうのは、私としても寂しい限りです。
午前10時半、国内線最後のジャンボ機運航便となったJAL3098便は、38年間お世話になった、那覇空港の滑走路から離陸していきました。もう、那覇空港にJALのジャンボ機が降り立つことはありません。
そして、41年間にわたり、飛行機を愛する多くの人々に愛されてきた、日本航空のボーイング747-400型機は、ジェットストリームオーケストラの演奏する『夢幻飛行』のメロディーが流れる中、私たちの心にその雄姿を残し、日本航空が提供しているラジオ番組『JET STREAM』の初代パーソナリティーだった城達也さんのごとく、夢も遙かな雲の彼方へと旅立っていくのです。
私としては、いつの日か“新世紀ジャンボ”ことB747-8型機を就航させてほしいと思います。

JALのジャンボよ、永遠に。

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