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2010年4月 6日

甲子園に高邁自主の鐘が鳴る

平成22年4月3日、沖縄県民にとって忘れられない一日になりました。
甲子園球場で開催されていた『第82回選抜高校野球大会』で、沖縄の興南高校が東京の日本大学第三高校を10-5(延長12回)でやぶり、興南高校としては初優勝、そして沖縄県勢として2年ぶり3度目の優勝を成し遂げました!
全面新築工事が行われていた那覇市営奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)が完成、そしてこの夏には『平成22年度全国高校総合体育大会(美ら島沖縄総体2010)』が沖縄県で開催される今年、沖縄県から初めて、興南高校と嘉手納高校が選抜大会に出場することになりました。
昨年の選抜大会で、興南高校は、島袋洋奨(しまぶくろ・ようすけ)投手が富山商業高校打線全員から19三振を奪ったものの、延長戦で富山商業高校に敗れ、また、夏の選手権大会では、大分県の明豊高校に3-0とリードしながら9回に打たれ3-4でサヨナラ負けを喫しました。
秋の九州大会で準決勝まで進み、今回の選抜大会への出場を確実にした興南ナインはこのシーズンオフ、昨シーズンの雪辱を果たすべく、弱かった打撃陣の強化や体力トレーニングなどに取り組むなどしました。
興南は1回戦で関西(岡山)を4-1でやぶり選抜大会初勝利、続く2回戦で智辯和歌山(和歌山)、準々決勝帝京(東京)、準決勝大垣日大(岐阜)と、並み居る強豪を次々と下してきました。
その原動力となったのが、我如古盛次選手。今大会5試合で合計13安打、このうち対智辯和歌山戦では、5打席すべてでヒットを打ち、前の対関西線と合わせて、8打席連続安打を記録しました。また、チーム全体としても、5試合すべて2ケタ安打を記録しました。
3日の対日本大学第三戦では、最初、守備のミスで2点を先制されましたが、6回の反撃で、これまで1安打しかなかった島袋投手が、左中間突破の2塁打で逆転、しかしその裏、ホームランとスクイズで同点に追いつかれ、その後、両チームとも三者凡退が続く緊迫した展開が続き、試合は延長戦へ。延長戦に入り、日大第三の攻撃になると、一発出ればその時点で日大第三の優勝決定という、さらに緊迫した展開となりましたが、12回1死の場面で日大第三は好投の山崎福也(やまざき・さちや)投手を交代させるなど7人の守備を変更。これが裏目になります。吉沢投手は2者に四球を与え、そしてバッターボックスに安慶名舜、三塁からのバックホームがそれ勝ち越しの2点、さらに島袋投手がタイムリーで2点、後に1点を加え10-5としました。
その裏、マウンドに上がった吉沢投手の打球が安慶名投手のグラブに収まり、興南高校は学校として初めて、そして県勢として平成20年・第80回大会の沖縄尚学以来2年ぶり3回目の優勝を果たしました。
延長12回、198球を投げた興南・島袋と、脳腫瘍という難病を乗り越えて投げ抜いた日大第三・山崎両投手の延長12回の死闘に、大きな拍手が送られました。
閉会式で、日本高野連の奥島孝康会長は興南の島袋投手について、「昨年の大会で1回戦の対富山商戦で打者全員から19三振を奪ったものの延長戦で敗れ、それから1年間で大きく成長して全国制覇まで達成した」ことを高く評価していました。
昭和43年8月、『第50回全国高校野球選手権大会』で、興南高校はこの年優勝した大阪の興国高校に0-15で大敗したものの準決勝まで勝ち上がり、甲子園に“興南旋風”を巻き起こしました。
昭和35年に沖縄から初めて那覇高校が選抜高校野球大会に出場してちょうど50年の節目でした。
沖縄から初めて那覇高校が出場して50年、“興南旋風”から42年、その“興南旋風”のメンバーだった我喜屋優監督が率いた興南ナインが今、あの“興南旋風”を越える、春の選抜大会の初優勝を成し遂げました。
興南ナインは、春夏連続優勝と、まだ成し遂げられていない夏の選手権大会での県勢優勝へ向けて、新たなスタートを切りました。
興南ナインが優勝したこの日、3万人収容の観客席と夜間照明を備えた“新たな沖縄の野球の聖地”として生まれ変わった那覇市の奥武山球場の落成式が行われました。その新生・奥武山球場の落成の祝福に、興南ナインの優勝が花を添えました。
またこの日、その新生・奥武山球場で35年ぶりのプロ野球公式戦として行われる『横浜ベイスターズVS東京ヤクルトスワローズ』の前売り券の販売も始まりました。

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