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2007年7月23日

沖縄県内の少年補導過去最多ペースに

いよいよ夏休みが始まります。これを前に、沖縄県警察本部は、今年上半期の少年非行に関するデータをまとめました。
それによりますと、今年1~6月までの上半期に警察に補導された少年は延べ17,852人で、昨年の上半期に比べて935人(5.4%)増加しました。
その内訳は深夜はいかいが最も多く、9,290人で16.9%も増加しました。次いで喫煙が5,503人、飲酒1,709人、無断外泊257人となっています。
また、刑法犯で検挙された14歳以上20歳未満の少年も、数は1,013人で前年より減りましたが、中学生の比率が全国一高くなっています。
昨年1年間の年間補導件数が過去最悪の37,860人に及んだのを背景に、アミューズメント施設やカラオケハウスなどの遊技・娯楽施設業界でも、青少年対策をとるところが増えています。すでに、カラオケハウスとまとでは、県教育庁や県警などからの指導により、県内6カ所あるすべての営業所で、18歳未満の少年および高校生の利用を終日禁止し、保護者同伴の場合のみ、土曜・日曜・祝祭日などの午前11時~午後10時までに制限しています。また、入店時には身分証明書により年齢を、また健康保険証により保護者確認が行われ、18歳未満の少年および高校生が保護者同伴なしで立ち入っただけで午後10時以前、すなわち昼間でも警察による補導の対象となります。このカラオケハウスとまとだけでなく、県内のカラオケハウスでも、沖縄県青少年保護育成条例で定めている午後10時~翌日午前4時までの入店制限よりさらに厳しい青少年の利用制限を設け、その制限基準をもって警察による補導の対象とする事業者が増えてきています。このため、年間補導件数が過去最悪の37,860人に及んだ昨年を上回る可能性もありそうです。
夏休みも始まり、青少年が開放感にひたる時期になってきています。少年補導件数が過去最悪ペースになったのを背景に、沖縄県警と沖縄県教育庁では8月31日まで、“夏休み少年非行防止総合対策”と称して、該当補導や啓蒙活動などを通じて少年の非行防止を目指します。

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2007年7月20日

興南高校、24年ぶり甲子園へ!

約1ヶ月間にわたって、沖縄県下の64校の高校球児たちがたった1枚の甲子園への切符を争った『第89回全国高校野球選手権沖縄大会』は、18日に行われた決勝戦、雷雨のため延長11回、1-1の引き分けに伴う再試合の結果、興南高校が浦添商業高校を2-0で下し、元阪神の仲田幸司投手が活躍した昭和58年以来、24年ぶり7度目の甲子園出場を決めました。
まだ沖縄が祖国に復帰する前の、今から39年前の昭和43年、第50回の記念大会、沖縄県代表として出場した興南高校は、ベスト4まで進みました。準決勝でこの大会の優勝校だった大阪の興国高校に0-14で敗れたものの、甲子園に“興南旋風”が吹き荒れたのでした。そのときの主将が、我喜屋優さんでした。
あの“興南旋風”から39年、57歳になった我喜屋さんが、この春、興南高校野球部の監督に迎えられました。興南高校は、2回戦で昨年の優勝校・八重山商工高校を9-2で下した後波に乗り、3回戦で那覇高校を6-0、準々決勝で八重山高校を10-9、準決勝で小禄高校を延長10回、1-0でサヨナラ勝ちし、そして決勝で浦添商業高校を延長引き分け再試合の末下し、甲子園への切符を手にしたのです。
今年の沖縄大会は、準決勝が2試合とも延長戦までもつれ、また決勝も延長戦となり、延長11回、雷雨のため1-1の引き分け再試合となり、週末ごとに強い日差しと暑さの中で熱戦が繰り広げられました。
39年前、18歳、高校3年、主将だった我喜屋優さん、あのときから39年、57歳の今、監督として再び甲子園球場にやってきます。熱戦続きだった沖縄県大会を制した沖縄県の代表として、39年の年月を越えて、あの旋風を再び起こし、全国の高校野球ファンを魅了してくれることを期待しましょう。

沖縄県の代表校は興南高校に決定しましたが、他府県の予選大会はこれからがピークを迎えます。
きょうは北北海道大会で決勝が行われ、駒大岩見沢高校が旭川実業高校を9-2でやぶり、9年ぶり3回目の夏の甲子園出場を決めました。東東京大会の豊南―明治、西東京大会の調布南―日野はいずれも延長戦で決着がつかず、引き分け再試合になりました。一方で、台風4号の影響で大会日程に変更が生じ、特に新潟県中越沖地震の影響で新潟県大会が今週末も行われません。新潟県大会は23日に再開され、代表校の決定は早くても8月1日になるということです。あすは29校参加の福井県と32校参加の高知県の大会が始まります。全国大会は8月8日に始まります。

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2007年7月13日

台風4号、沖縄本島を直撃、九州へ北上。

大型で非常に強い台風4号は、沖縄本島地方を2年9ヶ月ぶりに直撃しました。那覇市では今日午前中に56.3m/sの最大瞬間風速を記録、貨物車が倒れても、消防隊員がとばされそうになったほどでした。
台風による住宅被害は、沖縄県災害対策本部が4:30PM現在でまとめたところでは、床上浸水が名護市や宜野座村などであわせて9棟、床下浸水が東村や名護市などであわせて21棟に上っています。また八重瀬町港川で住宅の屋根が飛ばされるなど、県内であわせて3棟の住宅が壊れる被害が出ています。
さらに、台風の被害を避けるため公民館などの公共施設に自主的に避難している人は、これまでに渡名喜村や名護市など沖縄県内18の市町村で58世帯91人となっています。
停電も、6:00PM現在、那覇市や糸満市など沖縄本島と周辺の離島の27の市町村であわせて79,500世帯あまりが停電しています。これまでに北中城村や糸満市などで電柱が15本折れたり壊れたりしているほか、電線が切れるなどの被害が確認されているということです。現在、沖縄電力で本格的な復旧作業が行われているということです。また電話回線も、那覇市内で350世帯が電話不通になっているとのことです。
道路も、北中城村の国道330号線で電柱が傾いたために通行止めになったほか、沖縄自動車道・那覇空港自動車道も全線で通行止めになるなどしました。
飛行機も、那覇空港を発着する便はすべて欠航、特に全日空は那覇・宮古・石垣を発着するすべての便が欠航となりました。那覇空港だけでなく、奄美諸島路線もすべて欠航です。JTA便で運行されたのは、比較的暴風の影響がない羽田-宮古の1往復や、関西-石垣の下り1便、石垣-宮古、宮古-関西の各上り1便、羽田-石垣の下り1便の6便にとどまりました。あす14日も、機材運用の関係から、北九州発那覇行き、那覇発関西・福岡行きの計3便が欠航することが決まっています。今後、台風が九州地方を伺おうとしていることから、夕方からは宮崎・鹿児島発着便の欠航も出ています。また、あすは九州地区の空港を発着する便を中心に、欠航が出るおそれもあります。
飛行機だけではなく、本島・宮古島・石垣島と周辺離島を結ぶ渡船、本島内のバス路線、沖縄都市モノレールも、きょうはすべて運休、そして学校も休校、職場もスーパーも臨時休業と、きょうの沖縄は、台風のために生活がストップしていました。私も職場が臨時休業を余儀なくされました。沖縄気象台によりますと、今日の深夜まで、沖縄本島は暴風域にはいるだろうとのことです。また、暴風域を抜けた後も、大雨が降るものと予想され、十分な警戒を呼びかけています。
さらに、本州の梅雨前線も、台風4号の影響で活発化し、宮崎県では避難指示や避難勧告が出た地域もあります。今後、台風4号の北上で、さらなる豪雨災害も予想され、あす6:00PMまでの24時間に、九州南部で800ミリ、九州北部で600ミリの雨が降ると予想されています。
この梅雨前線の影響で、きょう甲子園球場で予定されていたプロ野球『阪神×中日戦』も、午後1時に中止が決定されました。阪神タイガースによりますと、台風4号の影響でおそらく15日まで試合の開催は不可能だろうかという話です。
台風4号は、このあと九州地方を直撃し、その後、進路を東寄りに変え、太平洋沿いに日本列島を横断することが予想されます。今後、気象庁から発表される情報には、十分に気をつけましょう。

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2007年7月 3日

きょう『JET STREAM』40周年

きょう7月3日は、TFMのラジオ番組『JET STREAM』が始まってちょうど40周年にあたる日です。今夜はこれを記念して、午後11時から「40周年記念特別番組」として放送されます。
きょうの午後、私はエフエム沖縄の番組『ハッピーアイランド』にFAXを送りました。午後1時半頃に、パーソナリティーの多喜ひろみさんに読ませていただきました。
送ったFAXの全文をご紹介します。

今から40年前のきょうは、どんな日だったかと思いますか?
今から40年前のきょう、1967年7月3日(正確には7月4日の午前0時になりますが)、東京・羽田空港、真夜中の闇に包まれた滑走路を、尾翼に赤い鶴のマークをあしらったジェット機が静かに離陸していきました。そうです。日本航空提供のラジオ番組『JET STREAM』の初飛行があった日です。きょうは、『JET STREAM』の初飛行からちょうど40周年にあたる日なんです。

遠い地平線が消えて
深々とした夜の闇に心を休める時
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は
限りない宇宙の営みを告げています

フランク・プゥルセルの『ミスター・ロンリー』が流れる中、城達也さんのこのようなナレーションではじまるこの番組は、お休み前のひととき、城さんのソフトなナレーションとイージーリスニングの組み合わせで、視聴者を当時、だれもがあこがれる世界の旅へと誘いました。
『JET STREAM』が始まった当時、TOKYO FMというFM局はなく、東海大学の実用化試験放送局、FM東海がこの番組を放送していました。エフエム東京が東海大学からFM放送局を引き継いだのは、1970年の4月のことでした。その直後に、“ジャンボ機”ことボーイング747が就航しました。
また、『JET STREAM』は1984年9月1日、エフエム沖縄が旧極東放送から移行して開局したときの最初の番組でした。しかもこの日、城達也さんがエフエム沖縄のスタジオに駆けつけ、“FM沖縄の一番機”が番組史上初めて、全国に生放送が行われました。
1994年も残り1日を切った12月31日、27年6ヶ月にわたりパイロットを務めた城達也さんのラストフライト、最後の「またいつの日か、雲の彼方でお会いしましょう。」という言葉が、今でも私の脳裏に焼き付いています。その2ヶ月後、城達也さんは食道ガンのため他界、文字通り、“雲の彼方”へと飛び去っていきました。私も『ハッピーアイランド』にファックスを送って追悼しました。現在は俳優の伊武雅刀さんが4代目のパイロットとして担当しています。
私も城さんのソフトなナレーションと、ポール・モーリアやマントヴァーニなどのすてきなイージーリスニングを聞くことで、飛行機のオーディオサービスを聞いているような雰囲気に浸りました。城さんが亡くなって12年(確か今年十三回忌になりますか)、石原裕次郎さんや美空ひばりさんと同じように、城達也さんのナレーションもまた、永遠の伝説として語り継がれることでしょう。
(多喜さんはここまで読んでもらいました。以下は放送されなかったところです。)
この10年の間に、TOKYO FMも、エフエム沖縄も、そして日本航空も変わりました。
1980年代後半以降、東京周辺にFM局の開局ラッシュ、そして音楽シーンがJ-POP中心になって行くにつれ、昔はいろんなジャンルの音楽を扱っていたTOKYO FMも、J-POP中心の選曲と、有名パーソナリティーのおしゃべり中心の編成になっていきました。その代表的なものとして、『コーセー歌謡ベスト10』も『コーセー・カウントダウンジャパン』(現在の『DHCカウントダウンジャパン』)にリニューアルされました。
エフエム沖縄も、22年間も続く長寿人気番組『ハッピーアイランド』は変わらないものの、構造的な変化に対応するため、数年前には平日の夕方から夜にかけての若者向け番組を、午後6時~7時55分(中村一枝さんの『Repose After Hours』)と午後8時~9時55分(『RADIO DUB』)の2階建て編成に見直しされました。また、携帯電話の普及に伴い、インターネットや携帯電話などと組み合わせた番組制作がなされています。また、全国各地でコミュニティFM局が相次いで開局、沖縄でもすでに7局が開局、今月には日本最南端のコミュニティFM局が石垣市に開局する予定で、県域・コミュニティ・AM・FM入り乱れての競争激化の時代となりました。
一方、日本航空をめぐっては、旧日本エアシステムと経営統合した後の5年間で大きく変わりました。旧日本エアシステムと経営統合したことで、国内線のネットワークが広がりました。しかし、2005年8月12日、福岡発ホノルル行きのDC-10型機が離陸直後にエンジンから火を噴いたのをきっかけに、リストラがもとといわれる航空機の整備不良など相次ぐ不祥事、それに伴う客離れ、加えて昨今の航空燃料の高騰で、業績は悪化しています。また、長年にわたりJALの代名詞といわれたボーイング747型機も、旧型のジャンボ機は相次いで引退、羽田-那覇線には長らくお世話になったこのジャンボ機も、老朽化と航空燃料の高騰には勝てず、まもなく国内線から姿を消し、再来年にはJALから完全に姿を消す予定です。また、ハイテクタイプの747-400型も、国内線では羽田と新千歳や那覇を結ぶ路線などに限られ、国際線でも経済性の高いボーイング777型に置き換えが進みました。
今では国内線では那覇空港発着路線で、国際線では太平洋路線と中国路線でしか食っていけなくなった日本航空はこの夏、女優の相武紗季さんをキャンペーンガールに起用し“夏休み家族のスマイルキャンペーン”を展開していますが………。
首都圏FM戦国時代に飲まれてリスナー離れの続くTOKYO FM、一連の運行トラブルで客離れが続き経営再建中の日本航空、双方の事情は大きく変わりましたが、これからも『JET STREAM』は、日本のFM放送の“顔”として、またお休み前のリスナーのよりどころとして、いつまでも私たちに心の安らぎを届ける番組でありたいと、私は願っております。
きょうはいつもより1時間早く、午後11時に那覇空港を離陸、番組スタート40周年を記念しての、1時間55分の“スペシャルフライト”となります。(申し訳ありませんが、宮古島の皆さんはお聞きになれません。あしからず。)

以上が『ハッピーアイランド』に送ったFAXの全文でした。
有名なタレントをDJに迎えてAMとほぼ変わらぬ番組編成に変わってしまったTOKYO FMでしたが、『JET STREAM』は、TOKYO FMの番組でも数少ない、FM放送らしい番組だと思っております。城達也さんがやっていた頃のイージーリスニングの選曲はほぼ姿を消したとはいえ、これからも日本のFM放送の代表格的な番組であってほしいと思います。
さあ、あと1時間足らずで“40周年記念のスペシャルメモリアルフライト”が離陸します。今夜は11時の離陸です。お近くのJFN系列のFM局にダイヤルを合わせ、“40周年記念の特別な夜”を楽しみましょう!

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