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2005年9月30日

BSデジタルラジオ10チャンネル、きょうで閉局。

平成12年12月から始まったBSデジタル放送が、この秋、大幅に変わります。民放が放送していたデジタルラジオ19チャンネルのうち10チャンネルが、きょう9月30日限りで廃止されます。
きょう限りで廃止されるのは、BS-NIPPON、BS-ASAHI、BS-i、BS-JAPAN、WOWOWのデジタルラジオ放送です。
BS-NIPPONは読売・日本テレビグループのRFラジオ日本との協力で、444チャンネルでヒーリング音楽を、445チャンネルでRFラジオ日本の番組の一部を放送していました。
BS-ASAHIは、455チャンネルでTV-ASAHIのグループ会社が運営しているアナウンサー・声優育成スクールの研修生による朗読とオーディオドラマを、456チャンネルは音楽番組を放送していました。
BS-iは461チャンネルでは午後0時~6時まで『ボルトアクションニュース』と称して10分おきに最新のニュースを、また水曜・日曜を除く午後6時~8時までと土曜日の午後0時~8時、日曜日の午後0時~6時までは環境音楽を、日曜日の午後6時~8時までは役者の森雅紀さんによるディスクジョッキー『侍DRIVE』(水曜日の午後6時~8時に再放送)を放送していました。462チャンネルではかつて『BSアカデミア』として大学生による大学生のためのラジオチャンネルが放送されましたが、チャンネルスポンサーだった大手生命保険会社が撤退したため平成15年3月に放送終了、その後は午後0時~8時まで、ビートルズナンバーの特集番組を繰り返し放送していました。
BS-JAPANは471チャンネルで内外の有名な演奏家・声楽家によるクラシック音楽を、472チャンネルでは『マザーアース』としてヒーリングミュージックを一流写真家による世界各地の風景写真とともに放送していました。
WOWOWは『WOWOW WAVE』と称して午後0時~8時まで、491チャンネルでは映画音楽を、492チャンネルではジャズやAORなどを流していました。
いずれの局も広告収入を上げるのが難しいため、音声放送から撤退ことになりました。
また、BS-FUJIの音声放送チャンネルを借りて放送していたニッポン放送と文化放送も、来年3月をめどに撤退する予定です。
デジタルラジオだけではありません。毎日新聞や角川グループなどが出資していたメガポート放送と読売新聞系列の日本データ放送の2つのデータ放送専業局も、同じく9月30日限りで閉局することになりました。また、現在休止扱いとなっている日本メディアークも、そのまま閉局することになりそうです。
各社ともハイビジョン放送でスポンサーを確保するのがやっとで、ラジオ放送は新聞に番組表が載らないだけでなく、放送時間も短く、また聞くにもBSアンテナとデジタル放送対応テレビが必要であり、携帯性がなく、手軽に聞けないこともあるのが実状でした。今後は、ハイビジョン放送に経営資源を集中させることになります。
デジタルラジオ局の中で最もよかったのがBS-JAPANの472チャンネル『マザーアース』。インストゥルメンタルの環境音楽、ヒーリングミュージック、リラクゼーション音楽を、一流写真家による世界各地の風景写真とともにノンストップで流しています。おまけに画面で放送で使ったCDの情報もきちんと提供してくれるだけではなく、番組で流している写真家のプロフィールや写真集の紹介といった情報も提供してくれる、ていねいな放送局でした。こうした努力が視聴者の好評を呼びました。幸いにもこの『マザーアース』、10月からはデータ放送チャンネルに移行し、毎晩10時から12時までの2時間番組として放送される予定です。BS-JAPANでは「おやすみ前のひとときを『マザーアース』の世界で楽しんでほしい」といっています。
一方、番組を供給するTBSラジオなどの大手ラジオ局も、来年から地上波でデジタルラジオ放送を開始する予定であり、そこに経営資源を集中させる戦略に舵を取りつつあります。10月以降も放送を続けるニッポン放送と文化放送も、地上波デジタルラジオ放送に移行する方針を打ち出しており、BS放送から撤退することになりそうです。特にTBSラジオは10月から、森本毅郎さんによる新聞拾い読みをポッドキャスティング(インターネットでMP3ファイルとして配信し、リスナーはこれをダウンロードして携帯型デジタルオーディオプレーヤーで聞くというもの。)で配信するほか、10月3日から来年3月下旬までの半年間、午後8時~9時の時間帯にブログと連動したラジオ番組を全国ネットで放送すると発表しています。私のこのブログは、@niftyの“ココログ”を通じてお送りしていますが、この番組もこの@niftyの“ココログ”と連携を組むということです。またこの番組の木曜日分には、“ココログ”でブログを執筆しているタレントの真鍋かをりさんが出演することになっています。
全国どこでもCD並の高音質と静止画像データ放送が楽しめるといった形で始まったBSデジタルラジオは、認知不足と利便性の悪さ、それに採算の悪化から、5年足らずの歴史にほぼ幕を下ろします。そして、ブロードバンドやブログなど、新たなメディアとのコラボレーションなど、地上波デジタルラジオ放送へ向けた大手ラジオ局の新たな挑戦が始まろうとしています。

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2005年9月19日

日本流通界の風雲児・中内功さん逝く。

9月19日、敬老の日の昼下がりを悲報が駆け抜けました。
大手スーパー“ダイエー”の創業者だった、中内功さんがこの日午前9時30分、脳梗塞(こうそく)のため、神戸市内の病院でなくなられました。83歳でした。
中内さんは昭和32年、大阪市で“主婦の店ダイエー”を創業、メーカーからの直接仕入れなどの安売り戦略をモットーにしてきました。昭和47年にはデパートの三越を抜き、日本一のスーパーマーケットに育て上げました。
沖縄で国際海洋博覧会が行われた昭和50年には、沖縄初の出店として、那覇ショッパーズプラザ・ダイナハ(現在のダイエー那覇店)を出店、以後、糸満・浦添・嘉手納・泡瀬と店舗を出店してきました。
平成初期には、「沖縄のお役に立ちたい」と、現在サンエー那覇メインプレイスが建っている那覇市おもろまちに、高層ホテルやシネマコンプレックス映画館などを加えた大型複合商業施設を建設する構想もありました。
また、昭和63年には南海電気鉄道からプロ野球“南海ホークス”を買収、本拠地も福岡市に移転して“福岡ダイエーホークス”にし、巨人軍で生涯通算868本の本塁打を打った王貞治さんを監督に迎え、福岡ホークスを日本一のプロ野球球団にしました。また、福岡市に開閉式の屋根を備えたドーム球場や、シーホーク・ホテル&リゾートを建設しました。
しかし、バブル崩壊後、売り上げは落ち込み、イオングループなどとの競争は激しくなる中で積極出店や企業買収などによる過大な投資が裏目に出て業績は悪化、店舗の閉鎖やホテルの売却、人員削減などのリストラを強いられました。沖縄でも糸満店、ハイパーマート泡瀬店、コウズ嘉手納店が、そして食品スーパー・ココマートも全店が閉鎖に追い込まれました。そして平成12年10月、中内さんは経営の最前線から退いていました。
その後、ダイエーは昨年10月、産業再生機構に対し再建支援を要請、球団も売却しました。そして来年2月までに総合スーパー53店舗を閉鎖し、営業地域も首都圏・近畿圏・北部九州地域に集中し、それ以外の地域からは撤退して、今後は小型食品スーパーに経営資源を集中させるという戦略をとっています。その一環として、沖縄で最後まで残っていた那覇店と浦添店も、11月20日限りで閉店することが決まっています。これで11月までに30店舗の営業終了が決まったことになります。
日本の流通業界に大きな革命をもたらした中内功さん、彼がこの世を去ったとき、ダイエーの、そして日本の流通業の歴史が、幕を閉じることになります。ダイエーの那覇店・浦添店の営業終了は、まさにそのことを象徴しています。
中内さんのご冥福をお祈りします。

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2005年9月 8日

またジャルウェイズ58便がトラブル(続編)

先日もジャルウェイズ福岡-ホノルル線のトラブルの話をしましたが、今回は私が7年前にハワイへ行った話をします。
平成10年10月、私は職場の慰安旅行でハワイに行きました。生涯初の海外旅行でした。
このときに乗ったのが当時JALが運航していた福岡-ホノルル線でした。福岡からホノルルまで6時間40分、ホノルルから福岡まで9時間20分かかりました。当時はB747型機が就航していました。成田・関西と欧米を結ぶ路線に就航している飛行機は新型の飛行機で、ファーストクラスやビジネスクラスはもとより、エコノミークラスにまで各座席1席1席にシートテレビが装備され、ビデオやオーディオ、ゲームに至るまでのコンテンツを選べるようになっていますが、ハワイやグアムなどのリゾート路線には旧型の飛行機が就航しており、こうした装備はありません。また、帰りの便にはJALさんの特別な取り計らいでコックピットにも御案内していただきました。最新の飛行機には液晶のコンピュータディスプレイが搭載され、コンピュータ制御での運行ですが、この飛行機にはアナログの計器が積まれていました。その航空機のコックピットも、平成13年9月の米国同時多発テロ事件を受けて航空法が改正され、いくら旅客といえども案内することはできなくなりました。
あれから7年、その福岡-ホノルル線も、米国同時多発テロ事件を境に乗客が年々減り、乗客1人当たりの運賃単価も下がりました。平成12年10月にはJALからジャルウェイズに運航移管し、機種もB747型からDC10型に変更されました。おまけに最近の原油価格の高騰で、航空運賃も値上げされ、日本とハワイを含む欧米路線については、燃油特別付加運賃と航空保険特別料金として往復10,600円が航空運賃に加算され(このほかにも成田・関西・中部空港の空港施設利用料金やホノルル空港の空港税も加算されます)、割高感が出てきました。私がハワイに行った平成10年にはJALのハワイ線の最盛期で、新千歳・仙台・成田・新潟・名古屋・関西・広島・福岡からホノルルへ、週81往復が運航されていたといいます。そのネットワークも、米国同時多発テロ事件を境に、地方とホノルルを結ぶ路線は相次いで廃止され、そして今回、10月4日をもって、福岡-ホノルル線は廃止されることになりました。福岡空港が高速バスや地下鉄で九州各地とリンクされ、九州各地から多くの旅客がこの福岡-ホノルル線を利用していましたが、今後、九州からハワイへ行くには、関西か中部で乗り換えなければなりません。また、残る成田・中部・関西とホノルルを結ぶ路線も全て10月1日から、ジャルウェイズに運航移管されることになり、中でも関西-ホノルル線は1日2往復しているのが1往復に減らされることになりました。
その昔『憧れのハワイ航路』という歌があったように、また昭和38年から22年間放送されてきたMBSテレビのクイズ番組『アップダウンクイズ』で10問正解したらハワイ旅行が賞品に出ていたように、ハワイは日本人にとって憧れ、夢の土地でした。そのハワイも最近は魅力が薄れた上、さらには原油価格の高騰で日本からの観光客が減っているということで、今後、ハワイはどうなるのでしょうか。

沖縄の放送記者、宮城歓さんが沖国大ヘリ墜落事故を語る!
“沖縄インターネットラジオ813”好評放送中!
http://www.cyber-rabbit.com/oir813

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2005年9月 6日

またジャルウェイズ58便がトラブル

8月12日、日本航空の子会社・ジャルウェイズの福岡-ホノルル線のDC10型旅客機が、離陸直後に左エンジンが炎上し、熱くなったエンジンの破片をまき散らし、2人を負傷させ、車のフロントガラスを破損させる事故を起こしてしまいました。奇しくも20年前のこの日、羽田発伊丹行きの日航ジャンボ機が群馬県の雄巣鷹山に墜落、『見上げてごらん夜の星を』や『上を向いて歩こう』などの名曲を残した歌手の坂本九さんをはじめ520人もの尊い命が奪われた、日本国内最大の惨事ともいう事故が発生した日で、墜落時刻の6:56PMに合わせて黙祷し、犠牲者の冥福を祈り、航空輸送の安全を誓った直後のことでした。幸い機長の素早い決断により、福岡空港へ引き返し、乗客・乗員にけがはなかったものの、出発が1日遅れ、中には旅行そのものを取りやめたり、成田経由に変更する旅客もありました。
そのジャルウェイズの福岡-ホノルル線のDC10型旅客機が8月30日、またもトラブルを起こしてしまいました。この日の8:00PM、滑走中に機体に氷が付くのを防ぐための設備の一部が正常に動いていないとの警告が出たために、離陸を中止、乗客を降ろして点検しましたが異常が見つからず10:15PMに改めて離陸しました。ところが今度は東京の三宅島上空をを飛行中に、客室内の空調システムの異常を示す警告灯が点灯し、目的地を変更して約45分後、関西空港に着陸、飛行を中止しました。この便には92人の乗客・乗員が乗っており、乗客は翌31日の関西発ホノルル行きのJAL便に乗り換え、1日遅れでハワイに向かいました。中には旅行そのものを取りやめた乗客もいました。
このジャルウェイズの福岡-ホノルル線は、乗客減(この日の便も300人乗れるDC10型なのに90人足らずしか乗っていなかった)による採算悪化のため、10月3日をもって廃止されることが決まっています。福岡-ホノルル線のほか、福岡-香港・仁川線、成田・関西-サイパン線(サイパン線はこれで全廃になります)、中部-グアム線の計6路線が、レジャー路線であり、乗客1人あたりの単価が低く、不採算路線になったという理由で、10月4日までに廃止されることになっています。また、この6路線の廃止に合わせ、旧型のB747型機3機を10月に2機、11月に1機退役させることにしています。
ジャルウェイズは平成3年、当時の日本航空(現在の日本航空インターナショナル)のチャーター便運航事業会社、ジャパンエアチャーターとして発足、本業のチャーター便運航の他、JAL国際線のうち地方都市とホノルルを結ぶ路線や成田・関西とグアム・サイパンを結ぶいわゆる「リゾッチャ路線」の運行受託の事業を行ってきました。平成11年には国際定期路線運行会社“ジャルウェイズ”として生まれ変わり、これまでJALの受託路線として運行してきたリゾッチャ路線をこの会社に移管していました。しかし、平成13年9月11日の米国同時多発テロ事件により航空需要が落ち込んだために、仙台や新潟、新千歳、広島などとホノルルを結ぶ路線が相次いで廃止になり、現在に至っています。
一方、JALのDC10型機は、昭和51年から58年にかけて20機が導入され、国内線はもとより国際線で活躍した3発機ですが、近年は老朽化が進み、すでに国内線からはすべて退役しており、国際線にジャルウェイズ所属機を含め6機が残るのみとなりました。(ちなみに、DC10型機と同じ時期に就航した日本トランスオーシャン航空のB737-200型機は、3年前にすべて退役しています。)
今回の事故は、すでに廃止が決まった路線、そしてすでに退役が決まった機種で起こった路線でした。DC10型の2機が相次いでエンジントラブル、そして空調システムのトラブルと、相次いでトラブルを起こすと、30年近く世界の空で活躍してきたDC10型とはいえ、もう命運はつきたといえます。日本航空ではジャルウェイズ所属機を含めDC10型の運航を来年4月までに終えたいといっていますが、今回の事故を受け、日本航空のDC10型機の退役前倒しは避けられないところでしょう。
日本航空ではバブル崩壊後、地上職・客室乗務員の新規採用中止など、相次いでリストラが行われ、平成14年10月に日本エアシステム(現在の日本航空ジャパン)の事実上の吸収合併により、もう一段のリストラが行われています。客室乗務員は契約制にされ、整備部門は別会社化され、人件費の安い海外の会社に委託するケースも多いといわれます。雇用形態も変わり、賃金も抑えられ、モチベーションも低下しているといわれます。今回の事故は、こうした整備不良というよりも、機材の老朽化がもたらしたものと、私は思います。
今年に入って航空管制無視事件や部品欠落事故などトラブルが相次ぐJALグループ。こうしたトラブル続出でJALグループの評判はますます悪くなり、相次ぐトラブルを嫌った利用客が全日空へ流れてしまいました。昨今の沖縄ブームで、沖縄県を発着する路線は前年を4%上回る好調といわれ、沖縄県を中心に運航している日本トランスオーシャン航空では今年の夏休み期間、前年実績より4%も乗客数が伸びました。那覇-宮古・石垣・久米島の県内路線の利用客の多くが本土からの観光客で、その多くがJALからの乗り継ぎといわれています。JALがしっかりしなければ、創業以来38年間1件も死亡事故を起こしていないという日本トランスオーシャン航空の足を引っ張ることにもなりかねません。沖縄への観光客が増える中で、51年間沖縄とのつきあいを大切にしてきたJALが、これ以上トラブルを続出させさらなるイメージダウンとなれば、JALはもとより、JTAのイメージダウンにもつながりかねません。

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